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趣味・特技

こんにちは!新潟県議会議員小山芳元です。ホームページは都合により更新できなくなったため、ブログ開設で情報発信します。詳細なプロフィールや政治信条などは、ホームページをごらん下さい。
2015/05/01(金)
昨日、小山よしもと激励の集いが、盛会に開催されました。

素敵な女性の方々から花束を頂き、改めて感激を胸に、上越のリーダー役として地域の発展に全力をあげると同時に、暮らしと平和を守る先頭に立つと決意を述べました❗

【小山よしもと激励の集い】-1
【小山よしもと激励の集い】-2 【小山よしもと激励の集い】-3 【小山よしもと激励の集い】-4
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2010/09/24(金)
 過日、県議会地域活性化・総合交通対策特別委員会の県内視察で発見した名所(私だけが知らなかったのか)を紹介します。それは魚沼市大浦にある「幕末の巨匠、石川雲蝶の世界が蘇る」赤城山・西福寺であります。

特別委員会視察 004

 室町時代の後期の1534年に、開山芳室祖春大和尚によって開かれた曹洞宗赤城山・西福寺の本堂と、その後、江戸時代末期の1857年に、23世蟠谷大龍大和尚によって建てられた開山堂は、幕末の名匠と謳われる石川雲蝶の素晴らしい彫刻・絵画・漆喰細工の数々が施されています。
 石川雲蝶の作品群が日光東照宮にも劣らない素晴らしいものであることから、今では「越後日光開山堂」と呼ばれているものであります。


主たる石川雲蝶の作品群
◆本堂の襖絵「孔雀遊戯之図」
◆開山堂天井の大彫刻・雲蝶終生の大作「道元禅師猛虎調伏の図」 必見!
◆道元禅師をお守りする龍神
◆「道元禅師と白山大権現」・「道元禅師と稲荷大明神」・「道元禅師と一葉観音様」
◆開山堂両脇の「鬼退治の仁王様」など

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 越後三山の麓、雪と稲穂の里、魚沼の禅寺に、このような幕末の巨匠が遺した素晴らしい世界があったことを、六十年余の間も知らなかったことに大ショックを受けました。と同時に何が何でももう一度出かけて見たい衝動に駆られています。
 毎日が多忙であり実現は難しい状況にありますが、一段落したら仲間と一緒に再び出かけてみたいと思います。
 ぜひ皆さんにもお勧めします。ちなみに同じ魚沼市の根小屋にも、曹洞宗針倉山永林寺に「石川雲蝶が繰り広げる華麗な色彩美の世界」の作品群があるとのことであり、1日のコースにはちょうど良いかも知れません。
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2010/09/03(金)
【元県県民生活環境部長のブログに私が掲載!】
 今年の3月末をもって新潟県県民生活・環境部長の渡辺正さんが県庁マンを退職されました。渡辺さんの前部署は、新潟県の出先機関のトップである上越振興局長であることから、県議として一緒に上越地域のために活動をさせて戴きました。
 さて、その渡辺さんが、上越振興局長時代に自身のブログを開設して、上越地域の課題や、自らの主張を交えた随筆など、果敢な情報発信を行っていました。
 そのブログの中に、私こと県議小山の趣味を紹介して戴き、強く感激しているところであります。その掲載されたブログ内容の要旨を紹介します。

【タイトル『エレキバンドの憧れ、未だやまず』】
 10番街の殺人、ダイヤモンドヘッド、キャラバン。皆さん何のことかわかるだろうか。答えることができるのは、唯一私と同年代の方であろう。言わずと知れたベンチャーズのヒットナンバーであり、ビートルズとほぼ同時期のグループサウンズの一つだ。
 そう私はグループサウンズ世代であり、青春の一ページを彩っていることは間違いない。私はこれらの曲を聴くと、ある種の後悔の念とともに思い出にしたる。
 
 当時高校生だった私は、少ない小遣いをためては、ベンチャーズなどのレコードを買っていた。私はエレキに興味を持ったが、結局のところ自らエレキの道に一歩踏み込むことができなかった。
 ところが上越の地に赴任して偶然発見したものがある。エレキの道に進み、バンドを結成して音楽通を極めたばかりか、シルバー世代になってもなお熱やまぬ方がこの地にいることを。私があこがれとともに尊敬してやまない人が。今は仮にK氏(小山県議)と言っておこう。その驚きと感動は今も強烈な思い出である。
 
 K氏(小山県議)と話すといやまあ造詣の深いこと、自分でバンドを組んで歴史を作ってきたばかりか、いまだに「おじさんバンド」として現役なのだから、当然と言えば当然だ。
K氏(小山県議)は、バンドの解散・再結成など幾多の紆余曲折を繰り返し、音楽の夢いまだ尽きずといったところだ。バンドでのパートはヴォーカルとギターというから脱帽、驚きだ。
 
 県議会における辛口の論戦で名高いK氏(小山県議)が、ところを変えて全く別の表情を見せる。サングラスをかけたそのステージ姿を想像することは容易なことではない。
二兎追っても二兎とも得ることができる。一芸に秀でる人は何芸でも平均点をとれることを、K氏(小山県議)は身をもって証明しているようにも思える。思いついたら、ためらわずやるだけやってみるべしとの教えか。


バンド

【多くの出会いふれあう感動 歩いて学ぶ人生の喜び】
 長年、県政をリードしてきた優秀な庁議メンバーの渡辺正さんのブログ要旨を紹介しました。お互いに立場は違っても、県政発展という本業で全力投球してきた二人であります。その二人が、仕事を離れ趣味を通じて信頼関係が醸成されることは、私の座右の銘である「多くの出会い ふれあう感動 歩いて学ぶ 人生の喜び」にピッタリであり、このうえない喜びであります。
 渡辺さんの第2の人生が、終わりなき青春の続きであることを願ってやみません。

2010/06/01(火)
社民党の政権離脱
 社民党福島党首が鳩山総理から罷免されたことを受け、社民党は、8か月余り続いた三党連立政権からの離脱を決定しました。  社民党が政権離脱を余儀なくされたのは、普天間基地移設問題をめぐって鳩山総理が、「国外か県外を」、また「最低でも県外を」、更には「辺野古の海を基地で汚すことは自然への冒とく」と公言しておきながら、結局は沖縄県民や連立政権の合意もなく、移設先を到底社民党が受け入れられない辺野古に決めたことにより、その閣議決定に福島党首が署名をしなかったためであります。
政権離脱 004
結局は辺野古!基地反対の布が踊る鉄条網で仕切られたキャンプシュワブ

大義は社民党!非は鳩山総理
 社民党の政権離脱に、一部マスコミからは様々な批判も出ていますが、そうした批判は的外れであります。平和に関する問題は社民党の党是に関わる「1丁目1番地」の根本的な問題であり、譲ることのできない生命線であります。
 今回の鳩山総理の基地移設先を辺野古に決定したことは、連立発足時の「沖縄県民の負担軽減に向けた基地問題に取り組む」とした三党合意に反し、沖縄県民の民意に反するものであります。
 福島党首は、「政治は、言葉に責任を持ち国民との信頼関係をきちんと果たしていくこと、信なくして政党はやっていけない」との信念で、これ以上沖縄県民に犠牲や負担を強いてはいけないと筋を通しただけであります。
 非は「最低でも県外」と言いながら辺野古に移設先を決定し、アメリカとの合意を優先して国民を欺き、沖縄県民の心をもてあそんできた鳩山総理にあります。
 こうした自分の言葉に責任を持たない小手先だけでかわす政治手法は、矛盾が噴出して国民の信頼を裏切ることになり、おのずと崩落の道を辿るものと考えます。

政権離脱 001
閣僚を罷免され、連立離脱を決めた福島党首

社民党がんばれと寄せられる多くの声
 社民党の政権離脱には、内部で慎重論もありましたが、中途半端な対応をすると大きな損失を被ることは、過去の村山政権時で実証されています。
 私自身も苦渋の決断だったとは思いますが、結果して真っ当な判断であり本来の姿であると思います。現に、社民党の政権離脱をマスコミが報じて以来、私のところに「筋を通して良かった」「社民党は間違っていない、おかしいのは鳩山総理だ」「小山さん、がんばって」などと、多くの方から意見が寄せられています。


近藤さん!軸足をぶらさず信念を貫いて
 ただこれにより心配なのは、新潟選挙区で再選を目指す近藤正道陣営であります。「連立仕事人」をキャッチフレーズに、連立政権での成果を前面に出して取り組んできただけに、社民党の政権離脱によって深刻な影響を受けることになりました。
 近藤正道参議院議員は、政権離脱を決定した党の常任幹事会で、「三党の枠組みを崩すなら重大な決意をもって臨む」と発言し、離党も選択肢に含めいろいろと考えると示唆したとのことであります。
 でも近藤正道参議院議員は、長く社民党の県議会議員を務め、党県連の代表として同士を引っ張ってきた党の顔であるだけに、即離党なんてことは考えてほしくないと思います。
 苦しく厳しい戦いであっても、社民党として戦うことに誇りと自信を持って頑張っていただき、そのぶれずに信念を貫く姿勢を来春の統一自治体選挙につなげて欲しいと考えます。

政権離脱 003
苦しくとも近藤参議院議員には、軸足をぶらさず信念を貫いてほしい

させてはならない古い政治への逆戻り
 また社民党は、政権を離脱したとはいえ、これまでの古い政治には戻すつもりはありません。これまでの連立内閣において、労働者派遣法改正や後期高齢者医療制度の改正など、手がけてきた政策は多くあることから、今後も政策によっては現政権と協議し、その実行に全力をあげていく決意であります。
 「古い政治に戻さない、弱者、労働者の立場に立つ政治を目指す」このことを考えれば、条件整備を行った中で民主党との選挙協力は十分に可能と考えますし、連立政権から離れたから即支援できないとすることにはならないと考えます。

政権離脱
国土交通副大臣の辞任届を出す辻元清美衆議院議員
2010/01/24(日)
【バンド練習を再開】 
 昨年末の12月県議会対策から忘年会、年明け早々各地域での新年会、新年度県予算要望対応など、極めて多忙な毎日の連続であります。そうした合間をぬって先日、新年度初めてのバンド練習を行いました。メンバーが全員揃い、2か月間位楽器がほこりをかぶっていましたが、そうしたブランクを感じさせない充実したひと時でありました。
 
 メンバーの半分以上は還暦を過ぎた年齢であるため、身体のあちこちのリハビリ(?)を兼ねていますが、私にとっては、多忙な毎日の心身の疲れを癒し、明日の英気を養うことができるための活動の一部となっています。
 
 これまでは、スナック等から出演依頼を受けて年4~5回のステージライブを行ってきましたが、現在、メンバーが都合により一人交替したため、新しいメンバーを加えて特訓中であります。(とは言っても、私の過密なスケジュールの合間をぬっての活動ため十分な練習ができず、メンバーには申し訳ない状況)
 今年も、チャンスを捕えてライブ活動も行っていきたいと考えていますので、私どものライブに触れる機会がありましたら、ぜひともご声援お願い致します。

エンドレス

【わが青春!思い起こす音楽活動♪】 
 高校生時代、ラジオから流れてくる強烈なポップス音楽に引き付けられ、毎日、竹馬の仲間を集めてバンドの真似をしていました。そして、社会に出てからわずかな小使いを出し合って楽器を購入し、本格的なバンドを結成し、その時から私の音楽の歴史が始まり、今日まで延々と続いていることになります。

 ベンチャーズをはじめGSサウンズやビートルズ、そしてローリングストーンズなどをレパートリーに、ジャズ喫茶や、スナック、夏はビアガーデンや浜茶屋、冬はクリスマスパーティと、音楽と共に青春を謳歌していました。

 定期的な出演やライブのためには、毎日ハードな練習が必要であり、年齢を重ねると共に必然的に練習にメンバーが揃わなくなり、やむなく解散に追い込まれたのは24歳頃かなと思います。

 しかしながら、音楽の夢は捨てきれず、会社の仲間を集めて再度バンドを結成しました。当時はダンスパーティが盛んであったため、これまでの主流であったロックから、スタンダードナンバー、ムード音楽、ダンス音楽へとジャンルを変え、ダンスパーティでの演奏が活動の主流となりました。

 そうした中、「第1回上越アマチュアバンドフェスティバル」に出場して、見事優勝を飾ったことを今でも思い出します。

 その後、カラオケが時代の主流となり出演依頼が途絶え、私が県議会議員になったこともあって、自然的に活動が休止した状態のままで来ていました。

 ここに来て5年ほど前、私の後援会行事のアトラクションに、急きょバンド演奏をやれとの声が高まり、昔の仲間の協力を得て即興で演奏を行いました。そのことが私の心に再び音楽の火をつけるきっかけとなり、以来、ダイアナ、オーキャロル、ルイジアナママ、スタンドバイミー、アンチェンドメロディ、恋の片道切符、悲しき街角などなど、60年代のオールディーズナンバーをレパートリーに、「蘇る青春時代」と題して私の音楽活動が今日まで続いています。 ~我が青春のすべてはここにあり~
 
青春バンド

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